コジコジ
コジコジが好きだ。
母はさくらももこが好きだったため、漫画コジコジが実家に置いてあった。
年を数えるのに片手が足りなくなって間もない頃の自分にあのシュールな笑いが理解できていたのかは甚だ疑問ではあるが、コジコジの世界観に引き込まれていった。
休み時間には下手くそな絵でコジコジのパクリのハジハジという漫画を自由帳に書いたし、友達が落ち込んでいた時にはコジコジがジョニーくんに送った手紙を真似して「げんきんだしなよ」と言い、キョトンとされた。
最近Twitterでバズっていたコジコジが先生に説教をされるシーンには特に衝撃を受けた。
「大丈夫だよ、コジコジは死なないもん。名前が書けなくても生きてられるよ」
「コジコジは生まれた時からずーっと 将来もコジコジはコジコジだよ」
ある程度大きくなった今考えるとこのセリフにはさくらももこの画一化された教育の無意味さに対する批判が込められているのではないだろうか。
当時はそんなことを考える頭がついていなかったのだが、なんとも核心をついたコジコジの発言が忘れられなかった。
小学校の授業中に、コジコジを真似て担任に「名前書けてなくても生きていけるよ、なんで書かないといけないの?」と聞いたことがある。
女教師は激昂して理由はよくわからないまま名前を書かされた。理由を聞きたかったのに理由は分からなかった。
コジコジの真似をして母親に「俺はジローさ。」と言いビンタされた半魚鳥のジローさながらである。
それ以降、そんなことを聞くことはなかった。そしていつのまにか名前を書くことにも数字をいじくりまわして見ず知らずの兄弟の待ち合わせのセッティングをしてあげることにも疑問を抱かなくなってしまった。
コジコジにはなれなかった僕はメルヘン(笑)の国をどう生きていくかを考えていかなければならない。